ジャズ・ピアニスト、ジャズ教育家。東京芸術大学中退。作曲を芸大教授、長谷川良夫氏に学ぶ。平岡精二クインテットに参加。フジテレビ小川宏ショーに6年間レギュラー出演。ハーブ・オオタのアレンジャー、コンダクターとしてアメリカ各地で演奏活動を行う。ピエール・カルダンに招かれてパリのエスパス・カルダン劇場に出演する。ハービー・マン、ミロスラフ・ヴィトウス、アニタ・オデイ等と共演。近年はジャズ教育に力を注ぎ、独自のイナモリ・メソッドを開発。楽譜、理論書など120冊以上の著作があり、東京芸術大学、千葉大学、バークリー音楽院、カリフォルニア大学バークレー校、アメリカン・リバー・カレッジなどでも使用されている。また10年以上にわたり山野ビッグバンド・ジャズ・コンテスト審査員を務めた。1991〜96年、IAJE(国際ジャズ教育者協会)日本支部会長を務め、1992年にはIAJEアメリカ本部のAdvisory
Councilに就任。元山梨大学講師。カワイグレード認定審査員2002年より財団法人音楽文化創造音検委員。2015年10月81歳にて没。
高校生時代、サックス奏者で9歳年上の兄、稲森喜久雄
氏の影響でサックス、フルート、クラリネットなどを
演奏。編曲も行う。
ピアノは高校1年から学校のオルガンとピアノでバイエル
から独学、まもなくピアニストとして活動をはじめる。
1952年(18歳)東京芸術大学入学とともに演奏の場は
東京に移る。
1963年(29歳)平岡精二クインテットに入り、6年間
在籍。朝はフジテレビ小川宏ショーにレギュラー出演。
昼はキングレコードで録音。夜は帝国ホテルで演奏と
多忙な日々を送る。
1970年ごろ ハーブ・オオタとのハワイ・アメリカ
本土ツアー。パリのピエール・カルダン劇場に出演。
1995〜1998年 国際音楽の日ジャズフェスティバルに
毎年出演。
執筆活動
1974年10月(40歳)「フェイクポピュラーフルート」
(シンコーミュージック)を出版。
1981年までに日音、シンコーミュージックなどから
13冊出版。
1982年4月(47歳)中央アート出版社から「ポピュラー
・ピアノ・スタディ第1巻・第2巻」を出版。
1990年には著作数が50冊に達する。
1991年10月 韓国の春秋社から「リードシート奏法1,2,3」
「クラシック・イン・ジャズ」が翻訳出版される。
2011年の「ジャズキッズVol.1、Vol.2」まで、120冊
の著書を残された。
稲森音楽教室
渋谷区の春山ビルで教室を始められた年は不明だが
70年代半ばと思われる。
1981年(47歳)第1回稲森教室発表会を開催。
その後、毎年開催。
2013年第31回発表会で“Misty”を演奏されたのが発表会
最後のご出演となった。
イナモリ・メソッド研究会
1990年に稲森康利先生の公開講座を行うために設立。
1990年8月 第1回公開講座開催。
会場は青山のカワイ楽器2階パウゼ。
国際ジャズ教育者協会(IAJE)
1991年1月(56歳) ワシントンD.C.で開かれた
IAJE国際大会において日本支部会長に就任。
1992年1月(57歳)IAJEアドバイサリー・カウンシル
に就任。